EM総括ーその四(再送) 6月25日準決勝第一試合:独逸対土耳古、6月26日第二試合:露西亜対西班牙

Berlin-Kreuzberg Skalitzerstr. 25.6.2008夜 独逸対土耳古戦直後


残念だけれど、奇跡は四たびおこることはなかった。後半86分に2−2の同点に追いついたときの土耳古にはなにがしら凄みすらあった。ここからなにかをおこれせられれば、土耳古はこのトーナメントのファイナリストに値するチームとなっていたかもしれない。だけれど、それが限界だったのか、それとも、それが独逸代表の勝負強さなのか、むしろ、小生はこれを悪運といってしまいたくなるけれど、勝者は独逸だった。
試合内容からすれば、土耳古はグループリーグ緒戦以降、最高のパフォーマンスをみせたといってもいいだろう。それまでの全試合で土耳古は先制点を許していたわけなのだから。しかも、怪我人や出場停止が9人もいて試合前からすでに満身創痍だったはずなのに。それに対して独逸はポルトガル戦と同じメンバー。勝ったチームは変えないの原則をつらぬいた。しかし、独逸は、にもかかわらず、土耳古の試合開始の当初の出足のよさに完全にふりまわされてしまった。土耳古の先制点とその直前のバーにあてたシュートは独逸のディフェンスブロックを完全に崩してのものだといいだろう。それでも、独逸は前線のタレントの質でうわまったがゆえの一点目、二点目だったといっていい。二点目はリュシュトゥのミスだったけれど、あのシーンで土耳古のディフェンス陣はクローゼに簡単にヘディングをゆるすべきではなかった。土耳古の一瞬の気の緩みがでた悔やまれるシーンでもあった。一方、独逸はこのシーンを得点に結び付けられたのは大きかった。
土耳古が試合をあきらめなかったがゆえの2点目がはいったところで一度は試合はどうころがるかわからないところまできたのは間違いのないところだった。もはや誰もが延長戦突入を考えたに違いない。けれど、土耳古の2点目のきっかけとなった突破をゆるしたラームがロスタイムに目の覚めるような逆転ゴールをきめたのは運命のいたずらとしかいいようがない。独逸の勝利を決定付けたラームの逆転ゴールは見事だった。ラームはこの逆転ゴール以外に今日は見るべきものはなかったし、逆に土耳古の2点目のゴールは彼のミスによるものがおおきかった。それでも、逆転ゴールをきめてしまった以上、このラームがこの試合のヒーローであることにはなんら異論はない。それぐらいあの逆転ゴールは見事だった。
どうして独逸がこの試合の勝者となりえたのか?サッカーとはスコアーがうわまわったチームが勝者でもう一方は敗者であるしかない、できるだけ多くの回数、ボールを相手のゴールにたたきこむこと、結果だけいえばそれだけのスポーツなのだ。もちろん、それだけですむわけではない。そこにいたるまでの中盤でのせめぎあい、ゴール前でのせめぎあい、そこへボールをいかに運んでいくか、そのボールをどうやって11人で動かして前へ敵の圧力をうけながら動かしていくか、そういったさまざまな局面にみどころがあるスポーツなのだ。それでも、最後はゴールを相手よりも多くきめたチームが試合に勝つ。ゴール前へボール運ぶプロセスは結果の一要因にはなりうるけど、結果に直接はふくまれない。シュートをしなければゴールにはいたらないし、ゴールをきめられなければ、相手にはやはり勝てない。その中で、数少ない決定機、すなわち、試合の中で五回もあったかどうかの、ゴール前でのキーパーと一対一のシーンを、3回決めた独逸が、2回しかきめられなかった土耳古をスコアの上でうわまって勝ったということ。ただそれにつきる。なにがいいたいかというと、独逸の試合内容はそれぐらいこの試合ではほめられたものではなかった。逆に、土耳古は実力ではうわまるはずの独逸に対して健闘以上の戦いをみせたわけなのだ。
そう、90分間を通して独逸はポルトガル戦とくらべるとみるべきものがすくなかった。バラックはほとんど土耳古の中盤の圧力に屈して90分間を通して試合から消えていたし、ポドルスキーは先制点にからんだもののなかなかボールをもてないシーンが続いた。ポルトガル戦につづいて先発したダブルボランチのヒッツェルペルガーとロルフェス土耳古の中盤に対して前半は後手を踏み続けた。後半開始当初のロルフェスフリングスの交代は、ロルフェスの負傷もあったとはいえ妥当だった。後半の独逸はこの交代で少しは息を吹き返すことができた。というのは今日はバラックが試合から消えていたために、ボールがなかなか落ち着くところがなく、ボールを落ち着かせることのできるフリングスの存在は後半おおきかった。それに引き換え独逸のディフェンスは前半何回土耳古に決定機を許し続けたか。前半に2点、3点をきめられてもおかしくなかったかもしれないほど土耳古の攻撃に振り回され続けた。それでも勝てたのは。最後の終了間際のチャンスをしっかり結びつける勝負強さ以外にありえない。ミスをしつづけて、もし負けていれば戦犯にされていただろう、ラームの目の覚めるような名誉挽回ともいえる起死回生の勝ち越しゴールは見事だった。
しかし、西班牙相手に、この土耳古戦、もとい、クロアチア戦、そしてポルトガル戦での終了間際のような失点をしているようなディフェンスはでは不安が残る。独逸のセンターバックの二人のメツェルダーメルテザッカーはフィジカルと対人プレーでの強さでは光る。しかし、これまでの独逸のこれまでの試合の失点シーンであったように、この二人は左右と縦への早い揺さぶりにあうと相手オフェンス陣のスピードにはついていけない姿を何度もさらけだしている。独逸は決勝戦西班牙を相手にポルトガル戦以上に中盤から前へアグレッシヴにディフェンスをして、なるべくペナルティーエリアから相手を遠ざけるプレーをしないと、このディフェンス陣では非常に危険だ。それに引き換え西班牙は独逸のような前線からボールに来る相手(昨日の露西亜もそういうチームだった)をいなすのに長けたチームだ。その西班牙がこの弱点をねらってこないわけがない。おそらく西班牙は独逸を相手に前半中盤で先手をとって揺さぶりながら裏のスペースをねらってくる展開になる、そして後半に勝負をかけてくるだろう。
そういう試合を準決勝の第二試合で西班牙は、優勝候補の筆頭だったオラニェを、また同様に、延長後半に完膚なきまで叩き潰した露西亜に対して見せた。露西亜はこの西班牙との準決勝第二試合前線からの早いプレッシャーで相手ゴールへと迫ろうとした。ところが、そういう試合運びを試みた露西亜を、西班牙は前半慎重にいなして、相手の守備ブロックのほころびをねらっている展開がつづいた。露西亜もパヴルチェンコやアルシャービンが阿蘭陀戦同様、西班牙ゴールへと迫る。決定機もひとつ作り出した。しかし、この決定機をきめられなかった露西亜は後半それを悔いることになる。西班牙は後半露西亜の足がとまったところで一気にたたみかけて三ゴールをあげて試合をきめてしまった。たったそれだけだが、この試合運びができる西班牙のチーム力がこの試合ではものをいった。この差は露西亜という若いチームにとっては大きかった。
独逸も露西亜同様前半から前から攻撃的にきて早い時間帯での先制点をねらってくるだろう。独逸がそこで主導権をにぎってしまえば、独逸にとってはいうことはない。もちろん、西班牙はそれをいなしつつ後半に勝負をねらってくるが、前半に先制できてしまえば、それこそ西班牙の展開となるだろう。むしろ、そうできればもうけものぐらいに考えているだろう。西班牙の露西亜戦の勝因は相手が後半ばてたところをたたみかけることができたからだ。ビジャの交代という不幸(彼は決勝を欠場することになったかが)もあったけれど、そのことによって、つまり、ビジャと交代で入ったファブレガスの投入によって、西班牙のチームとしてとるべき戦術はむしろあきらかになった。それまでは、ボールポゼッションでは露西亜が西班牙を上回る展開だったのが、西班牙は、ファブレガスを投入して中盤をより分厚くしたことによって、ボールを保持できるようになり、よりパスを回せるようになった。そのことによって、後半に露西亜の疲れを待って、ボールをもちながら、裏をついて一気に畳み掛けるというチームがめざすべき戦術が確かなものになったのではなかろうか。後半開始直後から西班牙はボールを持ちながら、露西亜のプレスをかわしつつ、隙をねらうことになる。だからこそ、50分過ぎの先制点は西班牙にとっては狙ったとおりの展開だっただろう。
ところで、露西亜は西班牙の各選手に対してマンマークでディフェンスをしていたが、先制点をきめたシャビはシュートのとき全くのフリーだった。だが、あの場面での露西亜は西班牙のサイド攻撃の左右への揺さぶりのスピードに完全についていけなかった。もちろん、あのイニェスタの早いグラウンダーのクロスボールをあわせたシャビのプレーとそれにいたるまでの露西亜選手の注意をきったオフ・ザ・ボールの動きこそすばらしかった。猛烈なダッシュやフリーランニングでもない、あのイニェスタがそのようなクロスを出すだろうということを予測したあの動き、バルセロナのチームメート同士のプレーだからこそできるこのチームワークがあげた先制点でもあった。そして、2点目、3点目も前がかりになった露西亜の裏を完全についてのゴールだった。西班牙の先制したあとの試合運びは全くすきがなかった。露西亜に点の入りそうな気配はなかったし、この展開で、前がかりになった露西亜の裏をついて追加点を狙うという展開は西班牙というチームにとっては願ったりかなったりだっただろう。3−0で試合は終わったけれど、2点目が決まった時点で露西亜は戦意をなくしてしまったし、もっと点がはいっていてもおかしくはなかった。露西亜は後半足が止まってしまったことが敗因の一つだ。チームとして露西亜は歯が立たなかったというべきだろうか。経験の差だろうか。それに、先制点のシャビのゴールに象徴されるように、西班牙は露西亜より一日休養日が短かったにもかかわらず走り勝った、ということでもあるだろう。やはり、露西亜にとっては阿蘭陀戦の120分間での勝利は高くついてしまったということだろうか。露西亜は阿蘭陀戦での疲れが後半一気にでてしまったのだろう。

独逸はそんな西班牙に対してどう戦うべきなのか。独逸が西班牙に中盤でのパス回しやテクニックでうわまれるとは思えない、ゆえに、後半足が止まってしまった露西亜の二の舞はなんとしてもさけたいところ。独逸は先制点をなんとしても狙わなくてはならない。逆に先制点をとられてしまっては苦しくなる。そして、90分間を通して戦うメンタリティーがないと。土耳古戦のような試合運びをしていては、西班牙相手では厳しい。逆に、西班牙が独逸の圧力に苦しむようなことになれば、独逸には勝機はある。
ただ、何度もいうけれど、そういうフィジカルを前面にだすようなそういうサッカーはすきではない。もちろん、サッカーというスポーツの数ある戦い方のひとつではあるけれど、それは小生の好みには合致しない。オラニェやオラニェ相手に相手のお株をうばうような攻撃的なサッカーを展開した露西亜が小生の理想とするサッカーなのだ。その点では西班牙のサッカーも見ごたえがあった。しかし、西班牙のようなチームはなかなか作れるものではない。中盤にあれだけのタレント、ファブレガス、シャビ、シルヴァ、イニェスタをそろえた上で素晴らしいコンビネーションやテンポコントロールをみせられるチームなどそうはつくれない。オラニェもそれかそれ以上のポテンシャルのあるタレントを誇るチームではある。けれど、準々決勝のあの試合では、コンディションや露西亜の巧みな試合運びもあったけれど、まったくうまくいかなかった。やはりフランスやポルトガルもあれだけのタレントをそろえておきながら早々の敗退だ。そして、延長後半ばてばてだったオラニェを完全に屠った露西亜の作戦と高速カウンターでオラニェを叩きのめした勝ち方は本当にみごとだった。サッカーにおける下克上の醍醐味だ。西班牙戦でもそれを期待したけれど、図らずも西班牙の試合運びはたくみだった。この点では西班牙というチームの経験そして世界最高峰のリーグでプレーする選手の質がここではものをいった。それだけ西班牙の中盤はこの大会屈指だといえるだろう。その中盤と独逸のパワーとモチヴェーションの対決がこのトーナメントの決勝のみどころになるだろう。
ところで、ヒディンク露西亜代表の監督を2010年のW杯まで続ける意欲をみせている。露西亜サッカーは、オイルマネーが投じられたこの数年間、そして今シーズンのゼニト・サンクトペテルブルク、そして、2004/05年シーズンのCSKAモスクワUEFA杯の優勝もあって、上昇気流にある。代表がこのユーロ2008でベスト4にたどりついた今や、2年後再びW杯という桧舞台へと帰りつかせることは、露西亜サッカーへの今後への至上命題だろう。W杯の予選ではこのユーロのファイナリストである独逸と同じグループになることが決まっている。そして、バルセロナアーセナルへの移籍が噂されるアルシャービンをはじめとした露西亜の若きプレーヤたち(アルシャービン以外にも西ヨーロッパのリーグへ打って出る選手もでることだろう)がこの次の2年間でどれだけ進化をとげるか、正直なところ目が離せないところだ。ヒディンク露西亜代表をW杯という桧舞台へ再び送り込んでくるだろう。彼のことだからきっとやってのけることだろう、しかし、このオランダ人は全く憎憎しいまで策士だと思う。

Berlin−Kreuzberg Oranienstr. 25.6.

ていうかこのおっさんは独逸代表のユニフォームをきていましたが・・・。


話は前後するけれど、準決勝で敗退することになった土耳古はこの試合の勝者である独逸に対していい試合をしたのは事実だ。なんどもいうけれど、主力がほとんど怪我や出場停止でででれなかったにもかかわらず。サッカーは名前と前評判でするものではない、90分間の試合へのモチヴェーションで図るべきものであるということを教えてくれた試合だった。独逸はこの土耳古戦での不評をぬぐうようなサッカーをしない限りは西班牙には勝つのは難しいだろう。

ところで、試合終了後のクロイツベルクは先週の金曜日ほどの喧騒はなかった。むしろ、そこですでに祭りの終焉の刹那を感じてしまうほどであった。独逸サポーターの「Finaaaaleeee,wowowooooo!」の叫び声もどことなく控え目で、まだ決勝戦にとっておくべ、それよりも水曜日の夜だったからかだろうか、金曜日の土耳古クロアチア戦のあとのような雰囲気にはならなかった。クロイツベルクの土耳古人たちも試合後さばさばした感じで家路につくのが印象的で、土耳古人と独逸人たちの集団が「Deutschland, Tuerkiye!(独逸、土耳古!)」と肩を組んでとおりを行進する姿もついた。それをみて小生は日韓のW杯のときのことを思い出してしまった。あの時も、みなが口々に「日本、韓国!」とさけんでいた。そして、家路に着く途中、交差点で、車の窓を通して、「これだけ楽しませてもらったのだし、満足だよ」と短く言葉を交わした隣の車のハンドルを握っていたトルコ兄貴の表情は晴れやかだった。彼らはサポーターとして、この大会すべて以上を出し切ったチームの戦いに満足しているが故のグッドルーザーだった。それをみて、独逸代表と独逸人をみて嫉妬する、オラニェ狂いの小生はなんと往生際が悪いのだろう、と思った一夜でありました。

Berlin-Kreuzberg, Skalitzerstr., 25.6.2008


さて。日曜は決勝戦ですか。昨日の西班牙対露西亜の試合が終わった直後は、どうにもこうにも、やりきれなく、往生際悪いことこのうえなく、決勝戦は絶対にみまいと公言してはばかっていませんでしたが、一日たって冷静になってみて、いろいろ考えてみると見どころの多そうな試合になるやもしれない、という思いにいったたのだけれど、一方で、独逸人と西班牙人の馬鹿騒ぎを見ながらの試合観戦はもういいかな、と思ってるので、どこか静かな中立した雰囲気のあるところで、じっくりと試合をみてみたいとおもってるところ。もはや、祭りの終わりの雰囲気を感じざるを得ない。ひとつの「非日常」とも思える時の終わりは、むしろ知らず知らずにその終わりは突如やってくるものなのだけれど、その終わりを感じ取った刹那には言葉にしがたいあはれを感じことがある、たとえば、旅という「非日常」の終わり、家路についている最中にその構えがないと、帰宅後の「日常」にうまく帰っていくことができないのと同様に。突然にその終焉を迎えて、おろおろとしてしまうよりも、そうではなくて、それに対する準備をしなかれば、「非日常」から「日常」へいかにもどるか、というときの対応ができないのだ、なんていいわけをしておきます。実際はこの3週間毎日サッカーとビールの日々に疲れたというのもあるのだけれど。
とりあえず、ここベルリンではまだ日曜までなんとなくうわついた雰囲気がのこって、日曜日はめざめたときから、ベルリンの独逸人たち西班牙人たちはそわそわしだすことになる、そして、それこそ街の雰囲気はそれに影響されるようにだんだんと潮があがっていくように熱気を帯びてくるのだろう。この日曜日はこのお祭りにふさわしいこの3週間の最後にふさわしい一日となるに違いないと思う。けれど、小生のなかでは、もはや、それが終わってしまったようにも思えて、心からそれを楽しめる状態にはもうない。どこか静かなところにいってしまいたいとと思うほどだ、この週末は。試合はそれでも楽しみですよ。見たくないといったこれで前言は撤回して、これをもって今日の総括と変えさせていただきます。

では、みなさん、日曜日、決勝戦お楽しみあれ、ではこれにて。またまだ自戒が必要ですな。