準々決勝第二試合 土耳古対クロアチア

マイクをもった少年・Berlin-Kreuzberg, Skalitzerstr.

なにがおこったのか全くのみこめたかった。よく見ると、ボールがゴールの中をころがっていて、これがもう終わりかけていた試合の劇的な120分間の最後の数秒ににおこった出来事とは全く信じがたかった。ほんのわずか、一秒にも満たない間、その間だけまるで時間が止まったような感覚、なんとも形容しがたい間を経て、気がついたら周りは天地がひっくり返るような大騒ぎ、小生もいつのまにか隣に座っていたトルコ兄貴たちと机の上にのぼって肩を組んで絶叫している。とりあえず同点なのだ、同点。しかも、延長後半121分ロスタイムの一分はとうの昔に回っていたはずなのだ。よりによって、延長後半119分にクロアチアにとどめのゴールをきめられて、試合はこれでおしまい、お祭りはおしまい、明日からまた普通の日々へ戻るのか・・・、と誰もが思ったはず。これまで陽気に試合をみていたトルコ人たちのしょげ具合をみていると、祭りの終焉といった刹那をはからずも感じとってしまった。2度あることは3度とないか、3度目を可能にするはずだったというのに。ところがだ。現にゴールはきまってしまったのだ、しかも、これまで120分間チャンスらしいチャンスをほとんどつくれなかったトルコが最後の最後で。そうとりあえずそのとき3度目がおこりかけたのだ。そして、こうしてPK戦に持ち込んで4本すべてを成功させたトルコに結局3度目の奇跡が起こってしまったのだ!

PK戦、戦意を喪失したように4本中3本を失敗したクロアチアは今日はつきにめぐまれていなかったといってもいいかもしれない。いや、決定的なチャンスはこの試合のうちになんどあったことか。トルコは90分だけをみれば、勝利に値するチームではなかったし、決定的なチャンスはほとんどなかった。延長戦にはいってトルコが巻き返したけれど、それでも先にゴールをきめたのはクロアチアで、しかも終了間際なのだ。この長かった試合だれもが、ついにクロアチアの勝利を手にした瞬間だとおもったことだろう。それでも、今日の勝者はトルコだった。最後まで彼らはあきらめなかった、このメンタリティーは賞賛されてしかるべきだろう。終了間際の先制点をまもりきれずにゴールを許したクロアチア、だが、それまでに試合をきめるチャンスを逃し続けたのもクロアチアだった。だから、今日のクロアチアの敗北は内容で相手を上回るサッカーをしても、それを結果に結びつけらなかったがゆえなのだ。
とはいえ、最後の2分で先制点をようやくのことであげたて逃げ切ることに成功していれば、苦戦したとはいえ内容では上回っていたという賛辞を贈られていたであろう。実際、どちらがよいサッカーをしたかといえば、そして、チームとしてどちらが優れていたか、と問われれば、それは間違いなくクロアチアだった。ルカ・モドリッチはこの試合でこれから将来的にヨーロッパを代表するプレーヤーになる可能性を示したし、この試合のあらゆる場所に顔を出した。クロアチアの各選手は技術面でもトルコの選手をうわまっていた。抜け目のない試合運びで相手を上回る試合内容をみせたのは独逸戦と同じだった。
そう、クロアチアは独逸戦でもそうだったのだけれど、ポルトガルやオランダような特に早いパス回しをするテンポのある美しいサッカーをするチームではないようにみえる。けれど、スペースの突きかたがうまい。あまり動いていないようにみえるが、FWのオリッチやサイドのプレーヤーを中心としてフリーランニングやパスの質はかなりのものだ。チームのゲームに対する共通の理解というものが確立されているゆえだろう。そして、試合のテンポのつけかたはまるでブラジル代表のようだ。グループリーグの第二試合独逸は中盤がクロアチアに対して先手をとる前に封じられてしまっただけでなく(逆にポルトガル戦ではそれを取ることに成功したが)、完全にこのテンポの暖急という点で完全に手玉にとられてしまった。二失点を喫してしまったシーンは完全にディフェンスを崩されての言い訳のできない失点だった。クロアチアはトルコ戦でもきめなければならないシーン、しかし、完全にディフェンスを崩しての決定機をそれこそ前半後半に一つずつつくりだしてはいる。それに引き換えトルコはそういうシーンを120分間最後の得点シーンをのぞいてただの一回も作り出せなかったといってもよい。
クロアチアはメンバーは2年前のW杯とそれほどかわっているわけではない。クラニチャールや日本戦でPKをはずしたスルナやコヴァッチ兄弟だってまだまだ健在だ。チームとしての熟成がましたということか、モドリッチラキティッチ、ペトリッチを軸に世代交代をすすめつつ。この変わりようは、日本代表の進化のプロセスがオシム退任とともに停滞したかのようにみえるのとは正反対だ。
でも勝ったのはトルコだった。実際総じてみるべきもののない試合だった。いい試合とはいいがたかった。120分ハラハラドキドキする以外にはなにもなかった(それだけですでに心臓にわるい)。でも、試合をみている観衆だけでなくこうして対戦相手をあわて吹かせるような心理ゲームに持ち込んだこのスイス戦ふくめた3試合すべての逆転に持ち込んだ試合終盤のトルコの攻撃は見事だった。実際、すべての試合で先制点を許して、切羽つまった上での逆転劇。スイスにしろチェコにしろ、そしてクロアチアも、この心理ゲーム、ある種の根競べに敗北したといってもいいかもしれない。トルコはこれまでの試合で似たような状況で試合をひっくり返してしまったということを、相手は忘れられないはずだからからだ。その点で、クロアチアの若いチームはトルコに同点ゴールを喫してしまった後のPK戦では完全に浮き足立ってしまった。四本中三本もはずしてしまったことが彼らがいかに追いつかれたあと冷静でいられなかったことを物語っている。そういう意味で、この試合についていえることは、最後に待っていたドラマをみるのには、これ以上ない120分だったということだ。

Berlin-Kreuzberg, Cafe Morgenland


試合終了後は僕が見ていたクロイツベルクのGeorlitzerbahnhofの近くのレストランのみならず、界隈全体がお祭り騒ぎを超えた熱狂が渦巻いた。ただのお祭りならクロイツベルクにはことかかない、5月1日のメーデーやそして同じ五月のカーニヴァルやら。しかし、この試合街を支配した喧騒はそれとは一種異なるものだった。トルコの三日月の旗を持った人々や車の窓やルーフから旗を振る人々の姿やクラクション、拡声器で声にならない喜びの叫びをあげるトルコ兄貴たち、歌う人たち、踊る人たち、などなどで埋め尽くされた通りは小生がこれまで見たことがないようなベルリンの姿だったかもしれない。図らずも、小生が試合の前に期待していたような「日常」の転覆が実際に起こってしまいかねないような熱狂がどこからともなく沸いてくるのを感じざるをえなかった。

Berlin-Kreuzberg, Oranienstr.


路上で狂喜乱踊するトルコ人たちそばには、独逸人をはじめとしたいわゆる「部外者」もたくさん通りにいたけれど、あーあー、ついにこいつらやっちまったよ、と苦笑いとをうかべつつ、少しそのお祭り騒ぎに少し加わってみたそうに遠まわしに彼らを眺めている。実際小生が試合終了後、うろうろしたクロイツベルクのOranienstr.やKottbussertor(コトブサ門)付近はそういう人たちの姿がむしろ多かったかもしれない。独逸人はおとついの試合の後、確かに通りに繰り出してポルトガル戦の勝利の喜びに浸っていたけれど、どこか自分たちで抑制しているような感じでもあった。喜ぶのは優勝してから、という風にも思ってるのだろうか。それはともかく、警察のお世話になるほど暴れてビール瓶を通りに割って散らかすような連中を目の当たりにして、こいつらは本当にどうしようもないな、と思う一方で、街全体がそうだったのでは決してなく、平日だったということもあって、大半の独逸人は意外にすぐに家路についているような気がしたけれど。ベルリンにしては珍しくお行儀のよいことではありましたが。

Berlin-Kreuzberg, Oranienstr.


それよりも、多くの独逸人が苦笑いを浮かべる理由の一つは、ベルリンだけでなく、独逸にいる人間であれば誰もが思い当たる話だ。水曜日に準決勝の第一試合があるのだけれど、周知の通り、これで独逸対トルコのカードが現実のものになったからだ、誰もが期待していた通り(??)。それよりも、これから水曜まで警察は頭が痛いに違いない。独逸が勝っても、トルコが勝っても、買った側に関係なく、水曜日は試合後大騒ぎに決まってるからだ。ともあれ、独逸がポルトガルに勝って、トルコがクロアチアに勝って、準決勝の勝者いかんにせよ、ベルリンではお祭り期間が延長されたようなものだ。このお祭りは結果的に、サッカーのヨーロッパ選手権の終わりまで続くことになった。多分、多くのベルリナーが望んでいたように。

Berlin-Kreuzberg, Oranienstr.


Radioeins曰く、昨日は西のベルリンのクーダムだけでなんと50000人がトルコ戦後通りにくりだしたそうな。KottiとGoerliの周辺であれほどの人がうめつくしたわけだし、町中で似たようなお祭り騒ぎが繰り広げられたことを考えると、街全体ではそれ以上の人々が通りへ繰り出したということは想像に難くない。しかもあれほど雰囲気が高揚したベルリンを経験したのははじめてだったかもしれない。2006年のW杯のときもそうだったのかもしれない。でも、小生は素直に楽しむ気もなかったから、実際どうだったのか記憶にない。最後のジダンの頭突きをみて当分サッカーはみまいとおもったほどなのだ。かと、思えば2002年のW杯のとき、東京にも似たような雰囲気が支配したのを覚えていなくもない。新宿のコマ劇場前の広場でもいまから思えば似たような熱狂ぶりだった。でも、通りに飛び出して歓喜にくれている人々をみていて、サッカーされどサッカーはすごいなあ、といまさらながらに月並みだけれど、今日もサッカーが好きでたまらなくてよかったと思った瞬間だった。と同時にふとおもったのだけど、89年に壁が落ちたときもこんな感じだったのだろうか。いやいや、比較の仕様がないだろうか。どのみち知りえないことだが。

Berlin-Kreuzberg, Adalbertstr.・Cottbussertor


クロイツベルクからの帰り道、東ベルリンの我が家に帰る道筋は非常に静かだった。金曜日なのに、いつになく。やっぱり小生は東ベルリンにも愛着はあるけれど、いつでもクロイツベルクが小生の中の「ベルリン」なのだ。

Berlin-Alexanderplatz,


今宵はオラニエ対ロシア。苦戦か完勝か。真価の片鱗をみせてもらいましょう。Hup Holland!
写真はここから。
では今日もまた自戒。