音楽と神秘的体験、今日の一枚:Salvatore Sciarrino Lohengrin

最近、追憶とか感傷とかいいながらシユウマンやシユウベルトなど聞きながら、につきなる駄文を徒然なるままに書き散らし気味で、美学者(の卵)としては、非常にあるまじき行為と心得ておりますが、最近音楽の趣味に関しては全く一貫性をうしないつつあります(むしろ、趣味ゆえに一貫性なしが正しい)。今、最近、と申し上げましたが、当地、伯林に参って以来のことと申し上げてようございしょー、それも、さらに脈絡のなさが目についてるような気がします。それもこれも、当地での夜遊び文化ならびにそれまできいてこなかった音楽との出会いがあったがゆえであり、それゆえ、打ち込み音やジヤズなるものをきいて一晩中踊り狂ったりしております。かと思えば、感傷的になりたいがゆえに、シユウマンを聞いて過去を懐かしんで涙することもありますが、最近クライスレリアーナを聞いて同様に感傷的になっていた友人Fが、極東の地に小生がありましたときには、非常にノイジーなもの、それも普通に聞いたら雑音にしか聞こえない、ぴーぴーとかブチブチとしか聞こえない音楽ならぬ音楽を、それを客人のおわします、たとえばかのK先生の研究室で大音量でならしまくって、非常にたいへんに迷惑であった、とのたまっておりましたが、ここのところその手のノイジーな音楽とはとんとごぶさたではありました。ところが、この週末、またノイジーな音楽の記憶を呼び起こさせるような出会いがございましたゆえに、今日は朝から晩までそういうノイジーな音楽ばかり聴いて頭の中が今日は朝から、ピービービーブチブチブチーグワワワーボーボー、といっております。シユウマンを聞いた次にこういう音楽をきいていては狂人扱いされてもしかたがないのですが、趣味はあいかわらず一貫しておりませぬゆえ、今日は朝からピービービーブチブチブチーグワワワーボーボーを聞いております。
というのは、週末から昨日までケルンにおわせられるマイミクのクルツ君のところに遊びに行っておったんですが、クルツ君宅にて、過去に自分が聞いてこなかったような聞いてきたような音楽を聞いて興奮のきわみであったのであります。今日もクルツ君がコンラッド・シュニッツラーについて書いておられましたが、シュニッツラーといっても、かのフロイト先生大絶賛の世紀末ウィーンのエロ医者作家(あれはアルトゥール)ではなくて、壁に囲まれたかつての西ベルリンで孤独にノイジーな音楽をぶちまけておられた通称Con様なのでございます。クラウトロックも再評価の機運も過ぎて、いまや、昨今の音響派ロックやポップの先駆者とみなされたり、いわゆるゲンダイ音楽の分野では長年不当に無視され続けているカール・ハインツ・シュトックハウゼンをはじめとしたその手の前衛音楽や実験音楽の後継者との評価もあるようですが、ケルンでこのCon様との出会いはまさに天からの啓示。ケルンからベルリンへ帰還するや、今日は朝からベルリンの壁がまだまだ横に立つ我が家にてシュトックハウゼン様をはじめとするゲンダイ音楽からはじきだされたような音楽、ならびにクルツ君に紹介されたクラウトロックもといCon様の音楽を聞くという神秘的体験を継続中であります。まことにもって全く美学者(の卵)としてはあるまじき行為といえましょー。
しかし、音楽と神秘的体験というのはどういうからみで説明したらいいのでしょうかね。説明に窮します。これは、むしろ、美学者としての課題ではございませんかね。だったら、ぴーぴーいってるだけではだめですけど。
といういうわけで、それにまつわる今日の一枚。

Salvatore Sciarrino Lohengrin (1982-84) Ricordi 1986

いや、しかし、この曲のみならず作曲家のぴろぴろぴろぴろーの弦楽器とぼあぼあぼあぶーの管楽器とほーおおおおおぷぷぷうーのソプラノを初めて聞いたときも興奮のきわみでありました。当時は前衛音楽とかいったジャンルにうつつを尽かしておりましたが、この音楽を聞くことはいまだに神秘的体験。当時よく聞いていたイタリアの大家ルイージ・ノーノもこのシャリーノの音楽を評して「鋭い音響の亡霊」といっておりましたが。この音の響きは全くとらえどころがない。大気にゆれめく音の粒子のごとく、といえば、むしろ、ジェルジ・リゲティのアトモスフェールを思い出してしまいますが、かの作品が大オーケストラでもって音の織物のようなもの(視覚的な比ゆですが)をつくりだすだすことに向かえば、シャリーノの音楽はそれぞれの音の細かい振動がつくりだすそのようなゆらゆらを思い起こさせる、それどころかそのゆらゆらの中へと連れ込まれるような感覚がある。と、かつてそんなものにも熱中いたしましたが、しかし、音楽を聴く弾くとはやっぱり究極的にはこのぴろぴろぽぽおおおおーのように神秘的体験でなければなりません。したがって、打ち込み音やジヤズで舞踏するのも、畢竟神秘的でならねばなりませんが、最近そのような出会いにとぼしかったがゆえに、かつて聞いたことあるようでないような音楽からここへシャリーノへもどったのも必然といえましょー。以上が、で、かつての私、つまり今の私の一部。

ではまた次回。