S-Bahnの新駅???


今日そういえば、Schoenebergの友人のところに行く際、駅でいうと、S1のYorckstr.とSchoenebergの間になるかな、Langenscheidt Brueckeから建設中らしき駅らしきものが見えたのだけれど、ということは、ベルリンにひさびさの新駅誕生!?、ってことでっしゃろうか。閑話休題。以上。

「この人は天才よ」

Secondguess2008-03-10

ベートーベン:ピアノソナタ Op.111、シューマン:交響的練習曲他−イーヴォ・ポゴレリッチ
(Deutsche Gramophon 1983)
と、かのマルタ・アルゲリッチが、ショパンコンクールで落選したにもかかわらず、こう褒めちぎったこのピアニストの演奏の録音を不覚にも今日はじめてきいたのだけれど、あまりにも衝撃的なので、すげえーよーまじこれーうひー、といってまじでいかれてます。以上ひさびさの今日の一枚。

結局S-BahnおよびDBのストライキはぎりぎりのところで回避されることになりました。昨日のあのロゴをもってヒッチしながらベルリン中をさまよわずにはすみましたが、結局なーんでい、っと今日朝起きたときには不遜なことも考えてしまいましたが、最も身近な足を奪われずにすんだの幸いでした。ともあれ。でも、BVGのストは続行中。トラムと地下鉄の代行輸送が強化されるとかで、少しはましにはなってきた模様。

今日ベルリンは今年最初の春日和。久々にクロイツベルクに上ってきました。今日のここからの夕暮れはすばらしかった。このViktoria Parkの上のシンケルの記念碑はベルリンでももっと好きな場所のひとつ。この街に来た最初の一年目はこの近くに住んでいたので、よく登ったなと、ふと、その4年も前のことを思い出しました。

今年は結局冬らしい天気だったのは、考えてみれば、年末年始とベルリナーレの間の一週間ぐらいでした。これも地球温暖化のせいなのか。10日間バスもトラムも地下鉄もはしらなけば、立派なCO2削減でしょうねえ、と、これは失言、みなさま苦労されておるのは重々承知しておりますゆえ。

そのほかの写真はhttp://picasaweb.google.de/kodoberlinアップしてますのでのぞいてみてくださいな。
ほんならまた自戒。

GEMEINSAM UNTERWEGS!

明日からおそらくS-Bahnもスト突入ということで、いよいよベルリン市民の足は自転車か車か、という事態に突入しそうな勢いだけれど、ついにこんなものまでネット上に登場しました、しかもVBBというベルリンとブランデンブルク州交通機関を統括する交通局のホームページに(http://www.vbbonline.de/gemeinsamunterwegs/)

その名もGEMEINSAM UNTERWEGS

車で移動できる人はこのロゴをはって、のせてったるでー、と、
乗せていってほしい人はこのロゴを通りで掲げて、のせってってー、
ということで、車という足のある人もない人も、みんなで助け合ってこの一週間を乗り切りましょうー、というのが、このアクションのモットーらしい。しかし、この国はヒッチハイクがポピュラーなだけあってこんなものまで登場したのには特段驚いたわけではないけれど、しかも、ベルリン市、RBBというベルリン州ブランデンブルク州を統括する公共放送局協賛だとかで。ていうか、ストが長引くなんてことは、はじめからおりこみだったのね、って準備ずみかい、とこういうことの手回しの早さはベルリンらしい、というか、なんというか・・・。
ともかく、どれだけ、市民の間にこのアクションが浸透しているかどうかわからないけれど、多分、明日からこれをもって通りにでるかもしれません。ていうか、明日からシャルロッテンブルクのUDK(Universität der Künste)の図書館にこもって論文書きに精を出そうとおもってたところなのに、というか、今論文を書くのに必要な参考文献がベルリンではUDKの図書館にしかなくて、どうにもこうにも向こうにいかないことには論文も仕上がらない。明日ZOOとかCharlottenburgと書いたこの紙を掲げながらヒッチハイクでベルリン内を移動することになりそうですわ・・・。もしくは、一応、S-Bahnは各路線60分間隔で運行するようだけれど、当てもなく待って、満員の電車にもまれることになるのは、避けられないでしょうねえ。

Streiken und 3 tage wach!

通称「マティアス」(旧ドイツ民主共和国国営企業Mifa社製、推定70年代末もの)

いや、しかし、ここまでとは思わへんだ。
ってなんのことかというと、昨日の終りに少し触れた話なのだけれど、ベルリンの交通局にあたるBVGが今週半ば以来10日間のストライキに突入したおかげで、ここ数日地下鉄はもとい、トラム、バスがほとんどといっていいほど走っておらず、しかも、これが来週金曜日まで続くそう。しかも、月曜日からはDB(ドイツ鉄道)も全国的なストに突入、ということはS-Bahn(近郊電車)もストライキに突入するとかで、いまだぎりぎりの調整がおこなわれているらしいけれど、このままだと結局市民の足は自転車か車だけか、という状況にまでなりそうということで、長年愛用していた東ドイツ産のMifaというブランドの70年代ものの自転車がついに先週修理ほぼ不可能なまでに壊れたばかりで、週明けから、どうやって大学や図書館にいけばよいか頭の痛いところ。多分、歩いていくと思うけど、でも片道30分以上はかかる。この際、やっぱり自転車を買わないといけないか・・・。夏またどうせ必要になることだし・・・、しかし、今月来月はまた出費がかさむ見込みなので・・・、ああ、どうしよう、どうしよう、来週から。この際、家にひきこもるかな、あはは。

今日も朝からクロイツベルクでサッカーの試合があったので、外出せざるを得なかったのだけれど、S-Bahnしか走っていないので、一番最寄り駅と思える駅までいって、しょーがねー、あるくべ、と歩き出せば、まあ、遠い遠い、いつもなら自宅から地下鉄に乗っていれば30分以内に着くべきところなのに、その最も近いと思われるS-Bahnの駅からして30分以上グランドがある学校まで、ウォーミングアップが済んでしまうぐらい、歩かされるはめに。帰りは幸い同じ方向に帰る同僚が家の近くまで送ってくれたので事なきを得たけれど、市内の交通の要所要所は普段がありえないぐらい渋滞、今ベルリンの交通機関もとい道路までが混乱に陥っている。
しかしながら、そこまで長期のストライキが必要なぐらい今のBVG職員の労働条件は劣悪だともいう。職員の低賃金だけでなく、乗客による暴力沙汰など日常茶飯だし、すでに今年にはいって2回ストという最終手段に訴えているわけだけれど、それでも、結局こうして10日間のストという最悪自体を招いてしまったことに関しては賛否両論があろうかと思う。たしかに、利用者が不便を強いられるいまの状況は確かに酷だろう。それでなくても、社会的な弱者の多い町なのだから。しかし、そうはいっても、誰に責任があるかといったら、これは誰も責められないわけで、というのもBVGは7億ユーロ(!!)もの債務をも抱えているわけで、これまでの経営努力についてもいろいろいわれているけれど、今の状態で職員の賃金引上げに応じれば一朝一夕に事態がよくなるわけでもない。もう後先がない状態なのだ、ぶっちゃけ。
やはり、これは、ベルリンがいま陥ってる問題のひとつがこうして顕在化したに過ぎないというべきだろうと思う。財政赤字、高失業率、インフラの脆弱さ、そして労働環境の劣悪さによる労働意欲の低下、誰がこんな街で場所で働きたいとおもうだろう。働いても報われない、生活もよくならない、その一端が10日間のストとしてあらわれたのに過ぎない。バスが地下鉄が走らないなんて、多分、今までそしてこれからベルリンが直面するだろう問題を考えれば、ささいなことに過ぎないのではないかと思う。ベルリンは、ドイツ連邦共和国の首都とはいうけれど、ベルリンは政治の世界はともかくとして、経済的な面でみれば、ヨーロッパの、そのなかのドイツという国のただのくそでかい地方都市の域をでない。今まで誰もが口にしていたので、もはや自明のこととなっているけれど、ベルリンの完全失業率は17パーセント(?)で、ここ数年この数値はこれ以上極端に悪くはなりはしないが、良くなる気配などはまったくない。最近、ベルリンやブランデンブルクをはじめとしたいわゆる旧東の各州から労働者がスイスやバイエルンなど労働条件良い場所や低失業率の土地へと出稼ぎにでていっているというけれど、それでベルリンをでていって仕事がみつかるならば、よいけれど、そうしたいと思う人はほんの一握りにしか過ぎない。

GedserからRostockへのフェリーにて, 6.3.2008

木曜日のデンマークからの帰り道、GedserというRostock行きのフェリーがでているデンマークの港町から大勢のスーツケースをもったBauarbeiter(工事現場のおっちゃんたち)と思しき一群とドイツへの帰りのフェリーを同船したのだけれど、彼らはどうみても、デンマークの工事現場で長期にわたって働いて、これから帰国するようなGastarbeiter(出稼ぎ労働者)の一群だった。話にはきいていたけれど、これほど多くまでのGastarbeiterと遭遇したのは初めてだった。ドイツでももっとも高失業率のMecklenburg-Vorpommernではそういう現象がみられるようになっているとは聞いていた。これはなにもこのGedserというデンマークの港町で見られる光景なわけではない。デンマークのまた別のドイツとの国境を接する地域、ドイツ側のSchleswig-Holstein州とデンマーク側はSønderjylandに関していうと、もちろん、ドイツ側からデンマーク側へと出稼ぎ労働者が向かっている。この地域は、歴史的に国境が南北へ何度も変わっているので、かつてから国境を超えた行き来はあったのだろうけれど、ドイツ側のFlensburgからデンマークへと国境をこえると、やはり街や道々からうける印象は違う。やはり、デンマークという国はヨーロッパでも相当豊かな国なのだ。それにいきかえ、ドイツは日本同様に高度成長をとげた60年代から80年代にかけてのかつてのGastarbeiterの受け入れ側から、伝統的に移民していくお国柄だとはいえ、もはや、経済は停滞し、自国の労働者を相当数国境の外へと送り出す側になってしまっている。GedserでそのドイツのGastarbeiterの群れをみてこの国はいったいどうしてしまうのだろうと、図らずを思ってしまった。彼らは自分の母国へと帰るはずなのに、一様に無口で、表情をあかるくなく、服装もさえなかった。もしくは、中にはひどく饒舌な人もいたけれど、そういった人の手にはかならずビール瓶が握られていた。そして、長旅のあとベルリンにつくやいなや、待ち受けていたのは、先の見通しのたたないストライキ、混乱に陥ったベルリン市内の道路と駅。それがとてつもなくみじめにうつったのは僕だけだろうか。
とはいえ、だれだって長年住み慣れ親しんだ土地を離れたくないし、それにしても、このベルリンという街にはなにがしら期待をかけたくなるようななにかがまだある、僕だってまだそれに対して期待しているし、それゆえこの街にやってきた。この街からでていけといわれても、今日や明日にでていくのはもはや不可能だ。でも、その期待をかけたくなるような何かに、この街自体の潜在的な力に対して、ベルリンは貧乏だけれどセクシー、であると、おそれおおくもおっしゃられたヴォーヴィーことヴォーヴェライト・ベルリン市長のように、もはや誰もが楽観的になれる事態ではないということは、もはや、誰もがしっている。そんなことに楽観的になれるのは、いわゆるEasyjettouristenという、格安の航空会社の飛行機にのってベルリンにやってきて、夜な夜な街を徘徊するパーティー目当ての観光客、そして、いまやこの街のどこでも見かけるようになった不動産投機を目当てにした人々ぐらいだろう。もともと、ベルリンはそういうパーティーや束縛のない生活を求めてやってきて、そのままいついてしまったような若者であふれかえっている街だし、それは壁に西ベルリンが取り囲まれていた時代から変わらない。それが間違いなくこの街の魅力のひとつであり、活力の源泉のひとつであるべきなのだ。それがなければ、この街はとっくの昔にさびれかえっているだろう。一方で、最近、といっても、2000年代の頭ごろからぼちぼち出現しはじめた後者はお金のある西ドイツだけでなく、他の物価の高いEU加盟国、そしてアメリカなど、いたるところからやってきて、まだ地価や不動産価格の安いベルリンの物件を彼らにすれば安値で買いあさり、そしてお金のあるドイツ人や外国人へと高値で売るような連中だ。今はユーロが高いからあまりみかけないけれど、そのうち日本人だってやってくるだろう、日本の経済力はなんだかんだいいつつベルリンをはじめとした旧東ドイツのとではとうてい比較の仕様がない。もちろん、彼らはベルリンに多かれ少なかれ、お金を落として言ってくれるわけで、経済的効果からすればもちろん歓迎されるべきことなのだろうけれど、ベルリンが、そして特に東ベルリンが日に日に観光地化し、限られた場所だけでお金がまわっていく場所と化していく現実に合間見えると、正直、気分は複雑だ。僕自身はそんなことを期待してこの街にきた人間のうちのひとりではないし、そういう状況で一時的に街がうるおったとしても、やはり一時的でしかなく、これまで気付きあげられてきたベルリンの魅力はこれでますます台無しになっていくことだろう。
人聞きの悪いことをいっているとは思うし、僕自身あまりそういう現実をみて正直気分はよくないけれど、やはりこれが資本主義だ。それを選択せざるを得ない世界にぼくらはいる。そこでは、結局はお金のあるところからすべてが始まる。この資本主義なるものにいまや背中をむけるなんてことは、よっぽどの現実音痴以外でしかありえない。だから、今ベルリン、特に旧東ベルリンのミッテやプレンツラウアーベルクで進行しているここ数年のバブルとでもいえる状況や、こうした現実から逃れたいと思うならひとつしかやはり道はない。結局は、そのような場所をおさらばする、という道しか。しかし、それではどうにもならない。平安時代鎌倉時代のように(その時代だって結局は遁世をこころざした例えば西行だって無理だった)、遁世なんてできっこない世界に僕らは住んでいる。
ベルリンが観光地化することの是非やベルリンが、それまでとはうってかわって、ある種の「どこでもない場所」へとかわりつつあることに関しては是非を問わないでおくどころか、むしろ僕は、それは、もはやさけられないことだとは思うのだ。壁の崩壊からもうすぐ来年で20年なわけで、なにもかわらないことが自体がどうかしているわけで、自由でやりたい放題だった、それこそ貧乏だったけれど、セクシーだった90年代をいまさら懐かしんでいても、それはしょうがないことだろうと思う。だいたい、僕はその時代のベルリンを知らない。せいぜい話に聞く程度であって。僕が最近いつもこの街にいながら思うのは、なぜ僕はこんな遅れ遅れもってベルリンへやってきて、なにをすべきなのだろうか、ということなのだ。それが多分、自由で束縛のないそれこそ貧乏だけれど、貧乏だけれどセクシーだったはずの90年代のベルリンを、あるいは、ベルリンがもっともよき時代をむかえたともいう1920年代、30年代など到底知りえない、僕らのこれからベルリンという場所へと向き合う上での、そこでなにかをするための新たな課題であり、そもそもの前提であり始まりなのだろう・・・。
それよりも、なにが今のベルリンで問題かというと、先ほど、多かれ少なかれの経済効果について話したけれど、そこで恩恵を受けるべき人間が、そしてベルリンという街が、そこではまったくのラチ外にあるとしか見えないということだ。仮に観光客がお金をおとしていったとしても、不動産投機で大もうけされたとしても、そこでベルリンという街がどこでどうやって恩恵をうけるか、なんてというこれから数年、10年を左右するような見通しがまったくないままなのだ。表面的な変化はおこっている。それには誰もが気付く。でも、どこか表面的でうわついているだけにしか見えないのは僕だけだろうか。おそらくBVGのストは、今ベルリンで進行中のどこかうわついたどこかどこでもないような場所でおこっていることへの警鐘となるべきなのであるのだけれど、そうしたストも、もはや、そうした現実とはどこかほかの場所に住んでいる人にとっては、まるで効力もないし、ストに対して耳障りな悪口を弄させるだけなのだ。なぜって簡単な話だ。彼らは車にのればいいから。一番影響を受けるのは、やはりBVGの地下鉄やバスにのらないと生活も仕事もできないような、まさに、ベルリンなのに「どこでもない場所」にいる人たちとは対極にある人たちからだ。たとえば、郊外の団地街からどうやって彼らは仕事にいくのか、こんなことは子供でも想像できる話だ。それがなければ、仕事場にいくこともままならないし、仕事に行くのにさらに早起き、眠い、満員のバス、疲れる、仕事場につく遅刻、仕事をする意欲は減退、仕事はさらにはかどらない。ただでさえ、ベルリンの企業の評判はよくないのだ。公共交通機関だけじゃない、お役所仕事の一部である、郵便、電気、ガス、水道・・・、ただでさえ停滞しているベルリンはますます停滞するだけだろう。これのどこがセクシーだろうか。
僕はストに対してなにも否定的なわけではないのだ。僕がおそれているのは、今回のBVGのストが提示するこの街と地域の問題が、このまま、BVGのストと交通機関の麻痺という事態だけに怒りがむけられて、ことの本質を誰にも理解されないことなのだ。多分、僕らは、月曜から歩いて、もしくは自転車にのって、出勤、通学することになるだろうけれど、頭を冷やしてこれからどうするかを考えるまたとない機会だろう。もちろん、僕自身はそうするまでもなく、ベルリンの人々が、今自分らに降りかかっている問題など自明だとして、あさってからの足のない一週間をすごすものだとおもっているけれど・・・。

さて、予告しておいたデンマークネタはこのあと次回以降に続くとして、ここ数日はまってるのが、この曲なんだけれど。LützenkirchenというテクノDJの最新作3 Tage Wach(三日間、徹夜)。おもろすぎ。でも、よくよく考えると、これもまた、今日僕が延々と語ってきた、またひとつのベルリンの現実ともいえなかろうか・・・。

http://de.youtube.com/watch?v=QAtnN9I8cxA

ウサギとワンちゃんがおどりくるってるのがよい。プレンツラウアーベルクとフリードリヒスハインを結ぶ、トラムのM50も登場。ちなみに、このトラムは、ヨーロッパ屈指のパーティエリアにふさわしく24時間ぶっとおしで走る。週末ともなると、この二つの会場を移動するクラバーたちで夜中の2時3時でもいつも混雑する。平日でもそんな時間にのっても普通に乗客がいるのに、ベルリンに来た当初はおどろいたこともあったけど、って、お前はなにをしとってん、ってほんまそのとおりですわ。
でも、この曲はただパーティーにかまけてる若者を揶揄してるだけじゃなくて、裏の裏をよめば、仕事もなくて、やることもなくて、そんなわけで、労働する意欲もなければ、夜な夜なパーティーパーティーって、三日三晩寝ずにはしご、ってともなるでしょう。

テキスト全文。

3 Tage Wach - Lützenkirchen

Intro:
Pille - Palle - Alle Pralle
Druff - Druff - Druff - Druff -Druff
Verpeilt und verstrahlert, alle verballert
Druff - Druff - Druff - Druff - Druff

Pille - Palle - Alle Pralle
Druff - Druff - Druff - Druff -Druff
Verpeilt und verstrahlert, alle verballert
Druff - Druff - Druff - Druff - Druff
...

Auf gehts ab gehts, 3 Tage wach
Nächste Party kommt bestimmt, 3 Tage wach
Afterhour vor der Hour, 3 Tage wach
3 Tage wach jetzt wirst du langsam schwach


Volle Kanne Einwurf, 3 Tage wach
Paniert und ding dong ding dong, 3 Tage wach
Bunte pillen Fete, 3 Tage wach
Puls wie ne Rakete, 3 Tage wach


Punkt Punkt komma klar, 3 Tage wach
Du warst gestern auch schon da, 3 Tage wach
Spieglein an der wand wer ist drei Tage wach?
Du und deine omaa sind 3 Tage wach


Nase voll, pimmel schrumpft, 3 Tage wach
essen doof, schlafen doof ,3 Tage wach
banane in der birne, 3 Tage wach
bollerbuden dirndl, 3 Tage wach
......


Teller bis zum unterkiefer, 3 Tage wach
In der hose ungeziefer, 3 Tage wach
Flasche leer, feuerwehr 3 Tage wach
Laufen geht jetzt auch nicht mehr, 3 Tage wach

Auf gehts ab gehts, 3 Tage wach
Nächste Party kommt bestimmt, 3 Tage wach
Afterhour vor der Hour, 3 Tage wach
3 Tage wach jetzt wirst du langsam schwach

Notfall Apotheke, 3 Tage wach
Rotz auf der Tapete, 3 Tage wach
Verplant , paniert, 3 Tage wach
Völlig ungeniert, 3 Tage wach
........


Pille - Palle - Alle Pralle
Druff - Druff - Druff - Druff -Druff
Verpeilt und verstrahlert, alle verballert
Druff - Druff - Druff - Druff - Druff

Pille - Palle - Alle Pralle
Druff - Druff - Druff - Druff -Druff
Verpeilt und verstrahlert, alle verballert
Druff - Druff - Druff - Druff - Druff

(引用元:Lyricscafe

ではベルリンの週末を3 tage wachでおたのしみあれ。また自戒。

デンマーク、デネマーク、ダンマーク...第一夜

Kunsthal Charlottenborg, Kopenhagen; 2.3.2008

先週土曜から今週は木曜までデンマークコペンハーゲンにいってまいりました。いた間は天気の良い日と悪い日の差が顕著でやはりコペンハーゲンの地理的条件から天気にかかわりなく風が強いことこのうえなく、雨がなぐりかけるように降る日もあって、出かける気がうせてほぼ一日中友人宅にいた日もありましたが、やっぱり久々の休暇だけあって、なんだかんだいいつつ、リラックスして観光するでもなく、チャリンコちゃりちゃりこいで、あてもなくさまよって、ひさびさのコペンハーゲンを楽しんできました。
やっぱりこの国は何度今自分が住んでいるドイツという国よりもしっくりくる(もちろん、日ごろからいっているように、僕は「ベルリン」に住んでいるのであって、「ドイツ」という国にすんでいるという感覚はあまりないのだけれど)。親戚にデンマーク人がいるおかげで10代のころから何度となくデンマークにいってるせいか、国自体もそうなのだけれど、ことばにも非常になじみがあるからか。なぜかしらないけれど僕にとっては聞いていて気持ちのいい言葉なのだ。そして、あれをぺらぺらにしゃべれたらめっちゃ気持ちいいいやろうな、とも時々おもうのだけれど、文法をひととおりならって、かつドイツ語や英語ができるので、読むのはほとんど大丈夫なのだけれど、他がまだまだ・・・。外国人がつかいこなすのがこれほど難しい言葉もないかもしれない、しかも、なまじデンマーク人が英語やドイツ語が得意というのがまずくて、まったく機会がないわけではないのだけれど、親戚とはいつもドイツ語でしゃべってるし、コペンハーゲンではこちらから話しかける先から英語で応対されてしまう。そんなわけで、しかも、自分にあまくて、相手の好意にやっぱりすがってしまう、でまったく上達しない。

そう、デンマーク語。この一癖もふた癖もある、多分、デンマークという国を、ほかと分けるもの、特に、スカジナヴィアの他の国、特にスウェーデンノルウェーとわけるものは、その島国特有の国民性(これは特にスウェーデン人が冷やかす点)以外に、間違いなくそれはこの言葉だろうと思う。しかし、聞いたことがある人ならわかるかもしれないけれど、やはり、しっくりくる、気持ちのいい、というのは、あくまでも、僕にとって、という条件つきであって、やっぱり万人とってはそうではないようで、それどころ、そんな風に思うやつなぞいるのだろうかといつも思っている。昔親戚のおじさん(もちろんデンマーク人)がよく言ってたけれど、オランダ人やスウェーデン人は歌うように話すけれど、デンマーク人はガチョウみたいに話す、と。これは誰もがいうことで、たとえば、スウェーデン人とデンマーク語で会話したりデンマークという国や人について話すと、スウェーデン人とデンマーク人はそれぞれの言語でコミュニケーションしてほとんど問題はないのだけれど、誰もがやっぱり、あいつらはがちょーか、まったく、デンマーク人ときたら・・・、という風にいつもなってしまう。デンマーク人の国民性に関する議論は隣人であるスウェーデン人たちの独り言を聞いているほうがおもしろいので、日本人が印象をかたったところでしれているのだけれど、それにしても、聞いていてデンマーク語は決して美しい言葉ともおもわないし、それどころドイツ語や英語とならんでヨーロッパで一番美しくない言語にカテゴライズしてしまいたくなる。もちろん、聞いていて美しいかそうでないか、というこの価値判断は個々人の言語にまつわる美的価値によるのだけれど、ちなみに僕が一番いわゆるヨーロッパの言語で一番美しいと思うのは、いうまでもなくロシア語です。それ以外では、ハンガリー語チェコ語ルーマニア語オランダ語がぺらぺらしゃべれたらおもろいやろなー、と常々おもってます。フランス語は聞いていて僕にとってはあんまり愉快な言葉ではないので、僕の美的価値のなかではお呼びでないのが残念ですが、まあ、この話はこれで終りにします。なんにせよ、すきかきらいか、うつくしいと思うか、そうでないかは、ことにデンマーク語とデンマーク人に限ってはまったく別の話、ということにしておきますか。

そう意図したわけではないのだけれど、コペンハーゲン訪問記がある種のデンマーク論みたいになりそうな雰囲気で、とりあえず、今日はここまで書いて、いままで話してきたネタとかかわりのある映像をひとつ紹介して続きはまた次の日以降にします。って、ぜんぜんこれまでの予告とは違うやんけと、お怒りのみなさまごもっともゆえ、もう、もうしばしの御猶予を。今日はもうねなあかんのです。明日は久々に所属のサッカーチームでトーナメントに参加しますが、朝9時にクロイツベルク集合で、しかも今はベルリン市の交通局にあたるBVGがストライキ中でS-Bahn以外は地下鉄もバスもトラムもほぼまったく走っていない状態で、マティアスというフランス人にもらったのでマティアスと命名していた70年代後半ものの愛すべきMifaというDDR製の愛車もついにこわれてしもうたので、どうやっていくかいまだに考え中なのです。

というわけで下にある映像はラース・フォン・トリアーのキングダムという、もはや伝説的ともなったテレビのシリーズから、多分最もポピュラーで、しかも、少なくともデンマークスウェーデンではお互いを揶揄するのに使われる古典的なネタとも化した感のある一シーン。下の映像は小さいかもしれないけれどおゆるしを、みたければ、YouTubeに直接アクセスしてみてくださいな。

最後このおっさん(もちスウェーデン人)はDanskjävlar!(英語字幕ではBloody Dane!)といっているんですが、スウェーデン人がデンマーク人をののしるときに必ずといっていいほど使われる言い回しで、くそったれ、デンマーク野郎、ぐらいの意味でしょうか。明日以降必ず続きます。ベルリナーレで見た映画についても必ず書きます。ではでは今日はこれでおしまい。また自戒。

Ich. Ich. Ick.

ああ俺も
俺も
俺も
俺も
なんかかかんといかんわー
なんかかきたいなー
と書く気満々書きたいこといっぱいなのに、なにをしていたのやら、口ばかりですでに年があけて、ベルリナーレことベルリン映画祭も終わっているというのに、新年あけましておめでとうさんです。

そういえば、サッカーねたが面白かったという話をいただいたので、そろそろ一年ぶりにサッカーについても書こうかとおもっています。火曜はチャンピオンズリーグトーナメント一回戦で、ポルトシャルケの試合をみようとおもってたんですが、ネットが忙しくてまったく接続できませんでした。結果はシャルケポルトに1-0で勝って、シャルケにしてみればポルトガルのアウェイへまずは視界良好な結果になりました。こうして考えてみるとシャルケはここ数年派手に補強しているけれど、チャンピオンズリーグになってからはじめての決勝トーナメント進出みたいですねえ。しかも、ドイツ勢で唯一今年のチャンピオンズリーグに勝ち残ってるチームですか。

ところで、冒頭に書い通り、今年もベルリナーレが始まったとおもったらすでに終わってしまいました。今年見た本数、ちなみに11本でした。もちろん前年の10本から記録更新。
しかし、それにしても、毎回一本目の映画のオープニングの画面でベルリン映画祭のシンボルでもある熊ちゃんが花火でぼーんぼーんうちあがっていくのを見るたびにもうすでに前回から一年たったんやなー、とおもうことしきりです。それにしても、年をとると一年が過ぎるのがどうしても早くなるような気がする、とは誰もがいうことですが、とりわけこの一年間はめちゃめちゃ早く過ぎたような気がしますわ。それなりにたくさん論文も書いたし旅行もしたというのにもかかわらず。過ぎ去る時の流れの早さを目の当たりにして、日々の自らの行いを自戒する日々でございます。最近人間50年とおもっていますゆえ。

さて、以下見た映画の一覧(見た順番)をともかく今年はおもいついたが先ここに書き記しておこうかとおもいますわ。

1; Berlin−1.Mai:
2: Elegy
3: Coupable
4: W.R. – Mieterije Organizma
5: Kirschblüten – Hanami
6: Ben X
7: Love and other crimes
8: Somers town
9: United red army (実録・連合赤軍)
10: Asyl – Park and Lovehotel(パークアンドラブホテル
11: Julia

今日はこれでやめにして明日以降また続くでしょう。おいどんは気が短いどん。

電線、電柱

電線と町屋:京都・左京のどこか

ひさしぶりに「来日」していると(最近冗談まじりにいわれてまったくそのとおりだとおもって自分でもそういっているのだけれど)、毎度のことながら、一年ぶりの極東の島国はいろいろと変化がはやいのでただのカルチャルギャプところではすまないぐらい戸惑うことになるのだが、テレビを見ては、見たことも聞いたこともない芸人が、そんなのかんけえーねええ、とかいいながら海パン一丁でおどりくるってるのをみて、くだらなねえーというのもはばかられる。そんなわけで、毎度のことながらテレビ番組のくだらなさには怒り心頭で、テレビにやつあたりするわけにもいかず、でやんでえーい、とちゃぶ台でもひっくり返したくなるが、いまどきの我が家も例にもれず、もはや居間ともよばれなくなったリビングルームなるところにちゃぶ台なんぞあるわけもないので、テレビのリモコンを放り投げ、極東のわが祖国は師走にもかかわらず春の陽気、そこでぷらぷらと都の小道をぶらぶらしていると、その町並みだけではなく、とうていこれまで気付きもしなかったようなような細部に気をとられたりしては、あなあもしろし、などとおもったりすることだらけなのだけれど、たとえば、今日の御題にありますとおり、電線、電柱。電線もただの電線。電気を送る線。電柱はそこらじゅうにありますがな。


電線、電柱、土蔵そして夕暮れ時:やはり京都の左京のどこか

昔、東京で僕が通っていた某国立大学でロシア語を教えていた作家のウラジミール・ソローキンが、日本でおもしろしおかしきとおもったことのひとつに電線だったか電柱をあげていたのを今でもよく覚えている。そして、それがものすごいエロチックだと。なんちゅうことをおっしゃる御仁だ、とそう当時はおもったきりだったけれど、電柱なんて犬が小便ひっかけてるとか、電線なんぞはカラスがその上にのっかりながら下を見下して、どあほーどあほー、とわめきちらしとるときぐらいにしか注意が向くこともなく、とうてい多忙を極めるぼくら現代人の視界からはすでに消えうせているし、小生のいるベルリンでは地下に埋められてそんなものがあることすら忘れさられている。


電線1:横須賀市三春町

ところがこの「来日」中、道を歩きながら空を見上げると、電柱はともかくとして、視界に入るのはやたらめたらと電線、電線、電線。


電線2:横須賀市三春町


電線3:やはり横須賀市三春町

電線は現代の日常生活を構成するものの一部として1920年代から30年代にかけて構成主義者たちによって頻繁に被写体として取り上げられている。電線のような、普段みなれていてすでに日常生活の中では当たり前になりすぎて、もはやその視野の中で埋没しているようなものが、突如いつもとはまた別の方法で僕らの視野へと侵入してきて、その普段僕らがものをみている様を脅かす、そして、普段みていて別段注意もはらいものしないそのものがなにがしらおどろおどろしいものにうつる。その僕らの固定化された日々のものの見方に突如割り込むように現れる、普段の僕らのものの見方を大きく揺るがようなその仕方を、たとえるならば、ある種の知覚の地すべり現象のような再認識の仕方を、20世紀初頭のロシアのフォルマリストたちは異化(オストラニェーニエ)と呼んで、その時代の芸術や文学を説明する理論としてとりあげたけれど、その異化の度合いが大きければ大きいほど僕らの日常に与える効果、もとい、それを見るものに対して与えられる霊感は絶大なものになってゆく。普段電柱の間間をぶら下がってる電線がただぶら下がっているその仕方だけでなく、もしなんでかしらんけどバーンバーンいうて火花をたてていたら危ないかも知れんけど、見ている分にはさぞかし美しいには違いない。ものとみることに関わる想像力の問題なのでしょうか。と、写真の解像度はあまりよろしくないので、よいのは下記のアドレスから。明日かあさってにはアップしておきます。

http://picasaweb.google.com/kodoberlin

今年はこれでひゆーどろといたします。また自戒。来年。